ユニクロも順風満帆できたのではない。過去、何度も挫折を経験している。かつて、「ナイキ」ブランドを扱った時代、店頭に商品を並べても、思うように売れず、すぐに引掲げている。また、スポクロ、ファミクロという新しい店舗の展開を試みたが売れずにすぐ撤退した。では成長持続への次の一手は何か。その一つが出店戦略である。二〇〇二年八月期は約七〇店を出店している。二〇〇一年以降は年間一〇〇店ずつ店舗を拡大する計画だ。出店地もこれまでの郊外から東京圏を中心とした主要都市繁華街の専門店ビルや駅ビル、さらには百貨店へとシフトするとされている。都市部の出店は費用の問題もある。郊外に出店している倉庫型の店舗というわけにいくまい。ダイエーのように、集客力が魅力でショッピングセンター側が三願の札で迎えてくれるケースも期待できるが普通三年契約。不振の場合でも、素早く撤退できないというむずかしさがある。二つめには海外への進出だ。すでに英国に出店しているが、景気減速の逆風の中での出店である。英国への出店は相当の力がいる。しかし、柳井はプレスに強気だ。「日本だけで通用する企業などあり得ず、海外でもまれていくしかない」と語る。海外へはすでに四店進出し次は、中国(上海に一号店オープン)という。国内一兆円、海外一兆円とそのビジネスのスケールも大きいが、成長維持のための多角化戦略の勝敗はまだ見えていない。多角化の一つは「ユニクロのネット通販」であった。消費低迷で消費者向け電子商取引に逆風が吹き付ける中、ネットとカタログを合わせた通販事業だ。売上は当初予想していた売上より約二割上回る一五五億円に達した。通販サイト「ユニクロードットーコム」で三〇色のポロシャツなど販売開始、一〇万人以上の観客に向けカタログを発送するなか、コンビニなどでも販売された。消費者はカタログを見て注文というボタンを押して商品番号を入力。約八〇品目の中から商品を探し出し注文するというものだ。もう一つの事業は食品分野への進出というものだ。異業種企業の合併・買収(M&A)も視野に入れた事業戦略のようである。
コムサの店舗は(1)コムサイズム(家族の絆がテーマ、主として郊外のSC中心に展開)。(2)コムサデモード(創業ブランド。凛とした日本女性、働く女性がターゲット)の店。(3)ベイトソプレス(ヤングーヤソダキャリア)(4)バジーレ・ベソトット(伊バジレとライセンス)(5)コムサーコムサーコムサ(トレンド、生産から物流まで物産に委託)(6)コムサデモードメソ(紳士服。ヤングからヤングアダルト)などが主なもの。近年開発された新店舗に雑貨の「スリーミッツハピネス」という一〇〇円、三〇〇円、五〇〇円〜一〇〇〇円の日用品中心の店を開発。三年後には全国に一四〇店年商約五〇〇億円を目指すという。同社は二一世紀に向けた基本戦略の一つとしてライフスタイルを提案できるメガストアの開発に力を入れている。すでに新宿店(五〇〇坪)、神戸店(一五〇〇坪)つづく博多店(約二、四〇〇坪)そして四番目に最大規模といわれる梅田店(約三〇〇〇坪)をオープンした。これまでの同社の店舗だと三〇〇平方メートル〜五〇〇平方メートル程度の器であった。
アルマーニの服の改革の主眼は、曲線の多用だ。曲線を多用し、標準的ではない体型をふっくら包む。曲線は、カジュアルの思想だ。ふっくらと包めば、規格外の体型でもそれなりに見える。アルマーニのカジュアルなデザインが大衆に受け入れられたひとつの理由でもある。ジョルジオーアルマーニは、カジュアルスタイルに大きな足跡を残したデザイナーである。カジュアルウェアは、スーツやジャケットの類にも存在することを、ヤ・デイーエイミスは、明言したのだ。我々がカジュアルウェアに抱くイメージは、ポロシャツやTシャツ、セーター、ブルゾンの類であろう。だがカジュアルウェアは、スーツについてもいえることなのだ。それが、曲線の思想なのである。ここでまたいくつかの定義づけができる。カジュアルウェアは、スーツやジャケットにも存在する。メンズファッションのデザイナーの作るものは、大手がカジュアルの強いウェアである。カジュアルウェアは、スーツの思想から誕生した。いい忘れた。「或る夜の出来事」(1934)の中で、新聞記者のピーター(クラークーゲーブル)は、富豪の家出娘エリー。(クローデットーコーペル)の前でワイシャツを脱ぐ。下着はなしだった。それ以来アメリカ人たちは、一時クラークーゲーブルに倣ったという伝説的逸話がある。アンダーウェアの放棄も、束縛されぬ自由という意味で、カジュアルな発想である。